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新11期(1959年卒)ゴルフ同好会「十一会(といちかい)」 ―今年の観桜会とこれまでの経過報告-

2024年8月

 

                      十一会幹事 秋葉勝也 abikaak@gmail.com

担当 𠮷野肇一  kyoshino@kxd.biglobe.ne.jp

まずは今年の観桜会報告から

 当初は、ここ数年の満開時期に合わせて3月28日(木)に開催してきたが、6組のクラス会(3・6ジンタ会、強敵☺)と同日ということが分かり、その上、今年の開花は1週遅れるということで4月6日(木)ということになった。それが100%雨予報となり(実際は雨降らず)、その翌日となった次第である。満開時期・天気予報とそれに伴う食事場所の予約変更など、幹事の苦労が察せられた。彼の連絡メールには次のようなつぶやきがあった:「予報は外れるものと改めて実感しています。明日は曇天との予報だそうですが、外れて欲しくないですね。桜開花予測もこれほど難しいとは、83年にして思い知らされました。愚痴はさておき、・・・」

 当日の行程

 午前10時30分都営地下鉄新宿線「東大島駅小松川口改札前」に集合。

 曇天下、駅前から続く満開の桜を見ながら、500m程で小松川千本桜に到着した。桜はソメイヨシノで、植栽後20年前後と思われる若木がわれわれを迎えてくれた。スカイツリーの後ろに富士山が見えるというポイントがあったが、残念ながらその幸運には恵まれなかった。写真は、ただ一人参加女性の藤井が、通りがかりの我々より少しだけ若いと思われるジージにお願いしたものである。

 一時間超の逍遥後、大島小松川公園自由広場を経て、出発した新宿線小松川口に戻り、

都営新宿線で一駅下り、荒川を超えて船堀駅へ。駅前の船堀タワーへ一階ロビーで、小倉と落ち合ったのち、同所のキリンシテイ船堀タワー店で会食歓談、1時間があっという間に過ぎてしまった。

 再会を期し、船堀駅で解散。

参加者11名:左より、柴田弘之、会田八郎、藤井千恵子(旧姓:森田)、大野裕朗、西谷征爾(旧姓:小川)、中野雄次、秋葉勝也、白嵜庄二郎、𠮷野肇一、(小倉紘一は食事会場から参加)
参加者11名:左より、柴田弘之、会田八郎、藤井千恵子(旧姓:森田)、大野裕朗、西谷征爾(旧姓:小川)、中野雄次、秋葉勝也、白嵜庄二郎、𠮷野肇一、(小倉紘一は食事会場から参加)

ゴルフ同好会「十一会(といちかい)」について

ニックネーム「十一会」の由来

 卒業回数の新11期の「11」を、かつて巷間でよく用いられた「十一(といち)」で表したものと思われる。

 十一:①10日で1割という高利金融、②花札で10点札1枚とかす札ばかりの手役(『大辞林』)と、良いイメージではない。不良ぶっての命名か☺

「十一会」発足の経緯

 40年位前、40歳代の中頃、1980年代半ば(昭和55年ころ)、上高卒業25年と思われるが、当時上野と御徒町の中間にあったタカラホテルで同期会が開かれ、歓談の中で「この仲間でゴルフもしよう」との声があがり、早川猛男(「十一会」命名者)を中心に秋葉勝也、会田八郎などが手を挙げて始まった。

 最初は麻生CCで、飛田裕子(旧姓:瀬谷)が夫君、当時の売れっ子お笑い芸人、故 東 八郎さんを同伴するなどでたいそうに盛り上がった。その後、会田の会社が水海道GCのメンバーだったので、多くの会がそこで開かれ、最盛期には20名ほどが参加。

 その後、山下二三夫(故人)が2軍会を構成し、正規会の両方が、往復はがき連絡で運営され(e-mailがない頃の話)、数年続いた。

 1990年頃は、秋葉がメンバーの霞台CC、筑波東急GCと勝浦GCを重用し、最盛期は24名ほどの参加者であった。頻度は2~3か月に一回、暮28日、正月3日は数年続いた。この帰路、ほぼ参加者全員が、当時、我孫子にあった秋葉邸で広い庭を見ながら、銀座フグ料理店として有名だった「大隈」のオーナー料理長の西谷征爾(旧姓:小川、「十一会」メンバー)が腕を振るってくれた酒肴を堪能した。秋葉が事業の関係で香港へ移住した1991年まで続いた。秋葉夫人の清美さんのご尽力に、遅まきではあるが深謝に堪えない。

 この間、一泊ゴルフも開催され、会場は、栃木のゴルフ場から始まり、秋葉の会社の保養所があった勝浦東急CC、蓼科東急CCが重用され、他に茨城の富士カントリーなどであった。日帰り会場は、茨城の江戸崎、霞台、石岡、土浦、阿見;千葉の泉などであった。

 1991年、秋葉の香港移住後、前記の山下が幹事となり、主に江戸崎CCで、従来どおりの頻度で行われた。

海外でも開催され、1回目は、秋葉の香港在住時、中国広東省深圳、2回目は海南島、3回目はバンコック周辺で、いずれも観光を兼ね、配偶者同伴であった。

 75歳過ぎてからは、カートでフェアウエーに乗り入れ可能な霞が浦国際CCで続けてきたが、2019年末にコロナが始まってからは「老齢者が感染すると重症化する」との報道で開催を中止し、そのまま、自然閉会となってしまった。

 1980年代半ばから2019年まで昭和、平成、令和の3代、空前絶後のバブル経済を満喫後、その崩壊にも遭遇した約40年間、少なめに数えて年5回としても合計200回、参加人数は延べ3千人を超えていると思われ、同期会同好会としては超ビックなものと自負している。

 

 おわりに

 これからも観桜会をはじめいろいろな懇親企画を続けていくつもりである。本趣旨に賛同される新11期生の参加を歓迎します。

 

 手持ちのリスト(2003.12)などによる会員名

 会田八郎、秋葉勝也、阿部汎雄、伊藤君夫、金子不二子(旧姓:薄)、太田俊雄、大野裕朗、大村紀男、西谷征爾(旧姓:小川)、奥田 廣、小倉紘一、北村宏之(故)、小平信夫、桜井邦広、佐々木辰男、佐々木宗徳(故)、佐藤 博、柴田弘之、清水雄治、白嵜庄二郎、杉本 肇、関 司郎、飛田裕子(旧姓:瀬谷)、高田 清、高橋 洋、竹内光津夫(故)、鴇巣喜一、外川 力(故)、富山愷男、中野雄次、秦 俊英、早川猛男、平井功一、松本恒雄、三宅一弘(故)、村田英世、藤井千惠子(旧姓:森田)、山崎 博、山下二三夫(故)、𠮷野肇一

 

1992年春 蓼科東急CC 左より西谷、𠮷野、会田、秋葉、秋葉夫人、柴田、白嵜、早川
1992年春 蓼科東急CC 左より西谷、𠮷野、会田、秋葉、秋葉夫人、柴田、白嵜、早川
水海道GC、1992年12月29日 前列左より、?、白嵜、?、山下、会田、外川 後列同様に、大村、秋葉、柴田、西谷、?、?、桜井、秦、𠮷野 ?:お分かりの方はご連絡ください。
水海道GC、1992年12月29日 前列左より、?、白嵜、?、山下、会田、外川 後列同様に、大村、秋葉、柴田、西谷、?、?、桜井、秦、𠮷野 ?:お分かりの方はご連絡ください。

以上

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コメント: 2
  • #1

    秋葉 勝也 (月曜日, 23 9月 2024 10:38)

    ありがとうございます。

  • #2

    宮本 道男 新27期 東叡会企画部 (日曜日, 29 9月 2024 22:30)

    新11期の皆様の結束力はすごいですね。会食に限らずゴルフコンペ、桜を見る会などテーマを増やして活動していることが参加人数が増え継続していると思います。見習う点が多いです。これからもよろしくお願いいたします。