【番組のご紹介】 「BS日テレ公式チャンネル」森田健作アワー 人生ケンサク窓 東叡会元会長の茂木友三郎氏(新制5期/キッコーマン(株)名誉会長)

8月のゲストはキッコーマン株式会社取締役名誉会長・取締役会議長の茂木友三郎氏。

89歳を超えてもなお“攻めの姿勢”を崩すことなく経営の第一線で活躍中。

 

前編では大学卒業後~就職、そしてアメリカ・コロンビア大学大学院への留学~帰国後を振り返る。醤油に興味がなかった茂木氏。留学先で“醤油の潜在的な需要”に気づいたきっかけとは?帰国後、グローバル戦略を指揮する中で経験した、数々の苦難を語る。後編では茂木氏と森田知事(当時)の意外な接点、そして日本経済発展のために提言し続けている現在の活動について、更に茂木氏が描く「未来」とは?

世界へ醤油文化を広げた、茂木友三郎の“生き方”をケンサク!

 

 

【森田健作アワー 人生ケンサク窓】 茂木友三郎 前編(8月10日放送)

https://www.youtube.com/watch?v=etbSou5_Lm4

 

【森田健作アワー 人生ケンサク窓】 茂木友三郎 後編(8月24日朝9時から放送予定)

 

https://www.youtube.com/watch?v=4Zinb2Lp_28

私の履歴書(日本経済新聞)2012717[一部引用]

 

茂⽊友三郎 都立上野⾼校卒業 野⽥から往復5時間 異常な混雑、危険隣り合わせ

 

旧制中学で遠距離通学を経験した⽗の勧めもあって、東京の⾼校に進むことにした。通える範囲で探した結果、都⽴上野⾼校を受験して1950年春、合格通知を受けとった。

千葉県から東京の⾼校に通うのは越境通学になるので、都内の遠い親せきの家に形だけ下宿するということにした。これは「寄留」といって、当時は珍しいことではなく、学校も黙認していた。

 

野⽥から通えるとはいっても容易ではなかった。朝の5時に⺟の「時間だよ。起きなさい」という声で⽬を覚ます。そのころ我が家には⽬覚まし時計がなかったのか、私を起こすのは早起きの⺟か祖⺟の⽇課だった。急いで朝⾷を済まして6時に家を出る。616分に愛宕駅から東武野⽥線に乗り込み、柏で常磐線に乗り換える。しかし上野⾏きのホームは⼈であふれていて、すぐには乗れない。1電⾞待っても、⾞内は混雑などという⽣易しいものではなかった。

 

 

前の⼈の背中を肩で押し、⾃分も後ろの⼈に押されながらドアの内側に1歩ずつ進んでいく。⾞内では⾝動きもままならない。そういえば冬のある朝、電⾞から降りるとオーバーのボタンが全部ちぎれてなくなっていた。

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コメント: 1
  • #1

    宮本 道男 新27期 東叡会企画部 (木曜日, 22 8月 2024 10:20)

    茂木会長は私たち上野高校OBの誇りです。番組出演ありがとうございました。